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介護なんて誰でもできる?

こんにちは。和歌山市内で介護技術のセミナー 触れるセミナー 動きのセミナー シンプルラーニング 総合身体介助講座 を行っている 当研究所所長の北口です。(出張講師も受付中です)

 

最初に言っておきますが、このブログに関しては苦情は一切受け付けません。

 

介護を知らない人が時々言われることがあります『介護なんて、誰でもできる仕事でしょ?』これに対して介護に従事している介護士(ここでは呼び名を介護士に統一しています)が憤るということがよくあります。

かくいう私も介護福祉士、社会福祉士、介護支援専門員として、介護士のお仕事を続けてきたこともありまして、『介護なんて誰にでもできる仕事でしょ』と言われてしまうと『なにー!この介護のお仕事のことの何を知っているんだ。』

と思ってしまうかもしれません。

 

しかしながら、最近はつくづく思います『介護って誰にでもできる様な仕事になってしまったなーと』

 

いや、これには理由が有ります。『所長、急に何言いだした』と怒らないでください。

 

 

改めて考えてみましょう『介護は誰にでもできる仕事なのか』

結論『だれにでもできる仕事です』

 

なぜか?

まず1つ目 やる気があれば(なくても)雇ってもらえてしまう。

 

人材不足のこのご時世も原因の一つです。

今は、求人広告にお金を費やしたからと言って、労働希望者から連絡が来るような時代ではないということです。

 

慢性的な人手不足ということも相まってこれまで特に経験がなくとも、資格がなくとも働けてしまうのです。(資格は必要ですが、事業所のジャンルによっては資格がなくとも労働できてしまったりします)

 

事業者側は人が足りていないので採用せざるを得ないのである。

そして、要領のいい人であれば、ある程度できてしまえてしまうのである。

 

『いやいや、ウチの事業所は、新入社員にはちゃんと教育して、それから仕事を…』と言われる人もいると思います。その研修期間や教育期間は何か月行いますか?

うちと業務委託契約をしている某住宅会社様ならもっと3か月程度研修期間をとると考えます。一般的にはそっちの方がスタンダードなんです。

とはいえそんなことを言っている私が勤めるサービス付き高齢者向け住宅でも、本人の理解度を見ながら、先輩と二人一組で仕事を教わり、その期間もその人によります。なので私も偉そうなことは言えません。しかしながら社会人として客観的なことを言っています。

 

 

2つ目  下手くそでも、しんどくても、出来てしまう。

 

業務独占ではないですから。

自宅で試行錯誤しながら、親の介護や配偶者の介護をしている人もいるのです。

そんな人たちは、経験が…資格が…なんていっている暇がないのです。目の前で介助が必要な状態が起きてしまうと、経験なくともわからなくとも取り組まないとたちまち、介護が必要なご家族は困ってしまいます。

(もちろん介護保険サービスなどの公的なサービスを利用はできますが、24時間まるっと介護から解放されることは難しいです。)

 

急に発生してしまう介助が必要な状態に対しても下手くそでも何でもメッチャしんどくても、できていしまうのである。というよりやらないと生活するためにはその場だけでのしがないといけないのである。

これまでも、歴史上古くから親の介護とかは、姑の介護を嫁や、その親類たちがするといったように素人でも大変な思いをしながらできてきているというパターンもあります。

 

 

3つ目 哲学がなくてもやっていける

介護職のプロ意識である。介護のお仕事をされている方に聞くことが時々ありますが、『皆さん、介護に自信がありますか?』たいていの人は『はっきりと自信を持っていると答える人が少ないです。』

 

 

比べるのは違うと思いますが、プロ野球選手は野球がめちゃうまいのです。素人と比べてみると飛びぬけてうまいのです。なぜか?それは野球の専門家だからです。おそらくはどの野球選手もこと野球に関しては素人よりも上手いという自信があると思います。

 

 

となると、介護の専門家である、介護士の方々はどうであろう、在宅介護で、両親の看取りを行ったような人や、医療的ケアが必要な障害児をお育ての方が現職のケアワーカーより介護ができてしまうという何とも由々しい事態も時々見かけます。

介護におけるプロ意識とは現状持っている技術のみではなく、技術が未熟でも仕方がないが(経験年数と実践内容に左右されるため)、研鑽を行っているかということが非常に重要である。

一般の人より一時的に介護の知識や技術が少なくとも仕方ないということもたまにはあるとは思いますが…

 

何度も比較にならないことを言いますが、プロ野球選手は、メッチャ野球がうまいにもかかわらず、毎日練習していますよね?

 

こんな例えを持ち出すと

『あの人たちは、あれでお金もらってるし…』  (介護士は介護でお金をもらっています)

『プロでしてることだし』  (介護士もプロとしてしています)

『高いお給料もらっているし』  (野球選手も高いお給料を長年もらう人なんて少数です)

そもそも、プロ野球選手と比べているところでハードルが爆上がりなのであるが…

 

 

私の知り合いの製薬会社の友人は、薬の専門家と言える。本当にお薬のことに詳しいです。普段の仕事はアポを取って病院を回り、新薬の説明をドクターにしているのである。新しい薬の説明をするために、毎日夜遅くまで(もちろん帰ってくるのも遅い)専門的な文書や医学書を読み漁っているという。…なぜか?プロとしてお客様に対して納得、満足してもらうためである。

 

いわゆるメッチャ野球うまい野球選手が野球の練習をしている状態である。

 

というようにプロということはその専門家なので、介護職は介護がめっちゃうまくないと話にならないのである。そしてプロ野球選手のごとく普段から練習をしているかどうか。『練習ってなんの?』(決まってるだろ、介護の練習だよ)

もしくはそれに関係する学習もしかり。(おそらく練習と言っても何をしていいかわからない。勉強もしかり。)

 

 

勉強する、練習するということが、プロ意識につながるのは間違いないが、重要なことがもう一つ。

 

どこを目指しているかということである。

自分の中にしっかりとした介護に対する哲学、概念があり、『自分は○○な風になりたい』とはっきりと答えることができ、それに向けた自己努力ができているかということがプロ意識につながると考える。逆に、それがないとどうなったら自分の介護がうまくなっていっているのかという概念が定まらないのである

 

 

これが『自身が介護に対して自信があるかという問いに対する、自信のなさの理由と言える。』

 

 

 

そしてその大事な練習や勉強。

をしなくとも誰からも責められることはないのである。必要性を感じる介護士や、事業者が必要性を感じて、介護士に対して勉強や研修に参加する指示を出す程度のもの。

 

 

だれかから指示された学習ほどドブにお金を捨てるものはないのである。

 

 

そう。ここでいう介護が誰でもできるもう一つの理由とは、何もせずにそのままの自分でいることを選択することができるというところにある(もちろん実践によりある程度は自然と成長していくことになるが…)。

そしてそのままやっていけてしまうというところにある。

 

 

これまでも述べてきたが、

介護をするにあたっての正解はある。しかしながら。うまくやろうが、下手にしようが、介護される側はいまいちよくわからない。(下手をすると介護している側も何が正解かわかっていないこともある。)

 

 

自分のために頑張ってくれているのだと、

たとえそれが下手くそでも。その人のしていることになんか違うなーと感じたとしても。

相手に対してすまんなーありがとう。とお礼を言います。

 

 

自分の抱えている要求がはっきりとしている方は『痛い』『そうじゃなくてこうしてもらいたい』など、自分の意見を伝えることができるのだが…。

 

 

 研究所のセミナーに参加していただければわかるのですが、介護が上手な人のかかわり方とそうでない人のかかわり方ではご利用者様が得る結果が変わります。動き方や動きを取り戻す能力に違いが出るということです。

 

 

それをわからない介護士は

『あの人お気に入りだから』

『男の人が好きだから』

『若いから』

『いつも怒るのよあの人』

『またわがまま言って』

 

などと、わからないが故の理由でそのご利用者様に対してのラベリングをしてしまう。(時々本当にその人のわがままであるときもありますが)

 

 

そして、上手に介助した時の効果もわからないので、誰でもできる様に機械(リフト)や福祉用具に頼ることになります。福祉用具を利用することは悪いことではないですが性質や特性、用途を理解したうえでの利用が重要になります。

実は介護現場でよく見かけるスライディングシートなんてのも人が動くための機能を低下させたりするのです。

 

 

とはいえ、慢性的な人手不足でもあり、お金持ちの会社様や大きな施設様にはセンサー等でその人が眠っているかどうか、不眠で動いている等が巡回をせずとも把握できる。ような設備を備えているのを見たことがあります。

 

 

入眠センサーは、一例ですが、慢性的な人手不足を解消するために、誰でもできる様な仕事にしないと人手が定着していかないという現実もある。

また、人手がないので、エルダー雇用等を考え、難しい介護にあたる専門職と、誰にでもできるお仕事を分ける。そうすることで人手不足を解消して…とあるが、仕事をだれにでもできる様にするためには。介護自体の負担減のために新たな機械化による取り組みは年々進んでいる。

 

そう。この仕事が後々まで生き残っていくために誰にでもできる仕事にしないと、いけないという社会的な側面もあります。

 

 

となると余計に、技術の習得や、研鑽は何をすればいいのかわからなくなってしまうのである。これも哲学がないことが影響しているか。なんとも負のスパイラルは連鎖する。

 

介護士の本文をお忘れではないですか?

 

 

とまぁ いろいろ書きましたが、

結論『介護の仕事は誰でもできる』のである。

 

言い方を変えると

『だれにでも門戸は開かれている。』

もしくは

『どんな介護士にでもなることができる』(良くも悪くも)

といったところか。

 

今回上げたた3つの理由についても当てはまらないしっかりと目的意識を持ち、自己研鑽をして、自己の介護に対する哲学を持っている介護士を何人も知っています。

 

その人はもちろん、自分の介護に自信をもって行っているし、そんな人は誰でも働けるうちの一人にはならないのである。

なんとなくわからないまま介護をしている人に対して。こっちの方がいいよー とアドバイスしてあげることができるのである。もちろんそんな介護士はご利用者様からの信頼も厚いのである。

 

そんな人材には高給を払ってでも雇用する価値があるのである。

 

『介護の仕事なんて誰でもできる』

 

言い換えると

『介護の仕事は誰にでも門戸は開かれている』

『どんな介護士にでもなることができる』

(良くも悪くも)

※好のスパイラルも循環する

 

 

ということである。

 

今回の介護に対する課題。3つの理由に関しては、なーんと予防介助認定協会認定の予防介助講座やシンプルラーニング もしくは和歌山ケアとふれあい研究所主催のセミナーで補完することができます。

 

 

介護の質で人生が変わる。ご利用者様の人生を変えてしまうことができる介護士というお仕事はとっても尊いのです。

 

ではでは セミナーでお待ちしています。